2000-03-14 第147回国会 参議院 交通・情報通信委員会 第2号
今ほど同僚議員からもお話がございましたが、戦後運輸省が設置されまして五十年余、初代大屋晋三大臣から今の二階俊博大臣まで連綿として日本の運輸行政をつかさどってきた運輸省がいよいよ来年一月から国土交通省と、そういう意味では歴史的な節目でございます。 最近のある新聞を見ますと、衆参の予算委員会で今、国会議員は予算書を片手に質問していないじゃないか、こういう記事がありました。
今ほど同僚議員からもお話がございましたが、戦後運輸省が設置されまして五十年余、初代大屋晋三大臣から今の二階俊博大臣まで連綿として日本の運輸行政をつかさどってきた運輸省がいよいよ来年一月から国土交通省と、そういう意味では歴史的な節目でございます。 最近のある新聞を見ますと、衆参の予算委員会で今、国会議員は予算書を片手に質問していないじゃないか、こういう記事がありました。
このたびのこの持ち株会社の議論をいろいろと私もさかのぼって調べさせていただきましたが、昭和四十二年にヨーロッパに経済使節団として、帝人の大屋晋三さんを中心として「産業体制近代化に関する提言」というものが出されているそうであります。
そして三点目、持ち株会社の設立方法についての問題ですけれども、この持ち株会社の設立につきましては、昭和四十年代、当時の帝人の社長であります大屋晋三氏が、日本における外資の自由化というふうな中において、ヨーロッパから、こういう持ち株会社というふうな発想をもう一度する必要があるのではないかと強く発言をしたということから広がったと聞いておりますが、持ち株会社について議論を進めてまいりますと、実は、合併制度
その夜、伊勢本氏が泊まっておった東京都神田神保町二丁目東越館に大屋晋三氏が、そのとき出された名刺がここにありますけれども、大屋さんの名刺を出されて尋ねてこられた。旅館前の喫茶店で会談をした。そのとき大屋さんは参議院議員でありますから、そのときは会長になられておったと思うので、帝人社長も同席をされた。
産業勲章、新日鉄名誉会長永野重雄、新日鉄会長稲山嘉寛、帝人社長大屋晋三、日本専売公社総裁北島武雄、通産省重工業局長赤沢璋一、国際電信電話KK副社長板野学、日本鋼管社長植田久生、韓国南産業KK日本人代表田中義郎、川崎製鉄顧問上野長三郎、新日鉄生産管理部副部長有賀正三。 国民勲章、孤児院経営永松カズ、韓国戦災孤児援護会会長小山武夫。
たとえば会長は大屋晋三さんですね。さきに商工大臣をやられた方です。帝人という会社をやってみえる。今度の規制のおかげでここはばく大な損失をこうむっている。操業停止までしなければならぬ。株の配当は率を下げなければならぬ。たいへんな被害なんです。この人は会長で出しておる。それが連盟の会長でいけなければ、帝人の社長で出せばいいのですか。全国の業者が一斉にそれを起こしたらどういうことになるか、承りたい。
○国務大臣(佐藤榮作君) 繊維問題の騒がしい際に、帝人の大屋晋三氏があらわれた、こういうことで、さぞ繊維問題の話をするだろうと、かように新聞記者の諸君も実は刮目していたようです。ところが、これは、大屋君が団長でトルコへ出かけまして、そしてトルコから帰っての報告であります。いまから行くのではない、実は報告であります。
あなたは大屋晋三さんに対して、繊維製品の対米輸出自主規制問題は、時間がかかっても筋を通すとお話しになった、こう出ているんですね。長引いても筋を通すと。これは各紙が一斉に出したところでございます。これは間違いございませんか。
○島本委員 山口県岩国の米軍基地の隣に、繊維メーカー帝人ですね、これも関西財界のリーダーである大屋晋三さんから、今度は基地公害に補償せよということで、昭和四十三年九月に六億の経営上の損害ということで、補償せよという訴えがあった。
それで、ただいままでにも政治家といたしましては、江田三郎先生、鈴木茂三郎先生、大野伴睦先生、堤康次郎先生、大屋晋三先生などの先生が出演されております。なお太田薫さんも出ておられます。鹿島先生は実業家と政治家をお兼ねになっておられまして、多忙な日常の中で持病をいたわりながら健康管理に留意されておる点で出席していただいたわけでございます。
(「了解々々」「その通り」と呼ぶ者あり)これは、きょうは御出席になっておりませんが、大屋晋三さんと話をしていたのですから、これは明瞭でございます。私一人入っていた、間もなく鈴が鳴り響きました。そうしてそのときの状況は、緑風会の方々は、これは明瞭に覚えておりませんが、ほとんどいなかったと思います。自民党の諸君は、非常にたくさん入っていらっしゃいました。
加藤 武徳君 高野 一夫君 横川 信夫君 松岡 平市君 長谷山行毅君 鈴木 強平君 野本 品吉君 川村 松助君 堀末 治君 西郷吉之助君 堀木 鎌三君 吉野 信次君 笹森 順造君 黒川 武雄君 小林 英三君 一松 定吉君 木村篤太郎君 大屋 晋
高野 一夫君 横川 信夫君 松岡 平市君 長谷山行毅君 野本 品吉君 平井 太郎君 川村 松助君 堀末 治君 西郷吉之助君 堀木 鎌三君 寺尾 豊君 吉野 信次君 笹森 順造君 黒川 武雄君 小林 英三君 一松 定吉君 木村篤太郎君 大屋 晋
剱木 亨弘君 加藤 武徳君 高野 一夫君 横川 信夫君 松岡 平市君 長谷山行毅君 野本 品吉君 平井 太郎君 堀末 治君 西郷吉之助君 寺尾 豊君 吉野 信次君 笹森 順造君 黒川 武雄君 小林 英三君 一松 定吉君 木村篤太郎君 大屋 晋
加藤 武徳君 高野 一夫君 横川 信夫君 松岡 平市君 長谷山行毅君 鈴木 強平君 野本 品吉君 平井 太郎君 川村 松助君 堀末 治君 杉原 荒太君 寺尾 豊君 吉野 信次君 笹森 順造君 黒川 武雄君 小林 英三君 一松 定吉君 大屋 晋
剱木 亨弘君 加藤 武徳君 高野 一夫君 横川 信夫君 松岡 平市君 長谷山行毅君 鈴木 強平君 野本 品吉君 平井 太郎君 川村 松助君 遠藤 柳作君 寺尾 豊君 吉野 信次君 笹森 順造君 黒川 武雄君 小林 英三君 一松 定吉君 大屋 晋
横川 信夫君 長谷山行毅君 鈴木 強平君 野本 品吉君 平井 太郎君 川村 松助君 西郷吉之助君 堀木 鎌三君 郡 祐一君 遠藤 柳作君 寺尾 豊君 吉野 信次君 笹森 順造君 黒川 武雄君 小林 英三君 一松 定吉君 木村篤太郎君 大屋 晋
五月二十一日委員佐藤清一郎君、西岡 ハル君、菊田七平君、亀田得治君、赤 松常子君及び藤原道子君辞任につき、 その補欠として井上知治君、岩沢忠恭 君、大屋晋三君、菊川孝夫君、山本經 勝君及び小林亦治君を議長において指 名した。 本日委員菊川孝夫君及び山本經勝君辞 任につき、その補欠として亀田得治君 及び赤松常子君を議長において指名し た。
五月二十一日付佐藤清一郎君、西岡ハルさん、菊田七平君、亀田得治君、赤松常子さん、藤原道子さんがそれぞれ辞任して、その補欠として井上知治君、岩沢忠恭君、大屋晋三君、菊川孝夫君、山本經勝君、小林亦治君がそれぞれ選任されました。本日付菊川孝夫君が辞任されまして、亀田得治君がその補欠に選任されました。さらに山本經勝君が辞任されまして、赤松常子さんがその補欠に選任されました。
五月二十一日委員大屋晋三君辞任につ き、その補欠として菊田七平君を議長 において指名した。 ————————————— 出席者は左の通り。
また二十一日付をもって大屋晋三君が辞任、菊田七平君が委員に選任されました。 —————————————
五月十七日委員菊田七平若及び井村徳 二君辞任につき、その補欠として松野 鶴平君及び大屋晋三君を議長において 指名した。 ————————————— 出席者は左の通り。
昭和三十一年五月十八日(金曜日) 午前十時五十五分開会 ————————————— 委員氏名 大蔵委員 委員長 岡崎 真一君 理事 大矢半次郎君 理事 藤野 繁雄君 理事 岡 三郎君 理事 前田 久吉君 植竹 春彦君 大野木秀次郎君 大屋 晋三君
昭和三十一年五月十七日(木曜日) 午後一時五十三分開会 ————————————— 委員の異動 五月十日委員石坂豊一君、鶴見祐輔君 及び川村松助君辞任につき、その補欠 として山縣勝見君、安井謙君及び大屋 晋三君を議長において指名した。 五月十一日委員早川愼一君辞任につ き、その補欠として常岡一郎君を議長 において指名した。
五月十日付石坂豊一君辞任、山縣勝見君補欠、鶴見祐輔君辞任、安井謙君補欠、川村松助君辞任、大屋晋三君補欠、五月十一日早川愼一君辞任、常岡一郎君補欠、五月十二日常岡一郎君辞任、早川愼一君補欠、五月十五日小酒井義男君辞任、吉田法晴君補欠、仁田竹一君辞任、西田隆男君補欠、五月十六日西田隆男君辞任、仁田竹一君補欠、吉田法晴君辞任、小酒井義男君補欠、五月十七日大屋晋三君辞任、井村徳二君補欠選任せられました、
五月八日委員大屋晋三君及び小林政夫 君辞任につき、その補欠として井上知 治君及び中山福藏君を議長において指 名した。 五月九日委員小柳牧衞君辞任につき、 その補欠として植竹春彦君を議長にお いて指名した。 五月十日委員新谷寅三郎君及び植竹春 彦君辞任につき、その補欠として松野 鶴平君及び小柳牧衞君を議長において 指名した。
五月八日付大屋晋三さん、小林政夫さんが辞任され、その補欠として井上知治さん、中山福藏さんが選任されました。五月九日付小柳牧衞さんが辞任され、その補欠として植竹春彦さんが選任されました。五月十日付新谷寅三郎さん、植竹春彦さんが辞任され、その補欠として松野鶴平さん、小柳牧衞さんが選任されました。五月十一日付亀田得治さんが辞任され、その補欠として菊川孝夫さんが選任されました。
五月十日石川榮一君が辞任され、補欠として一松政二君が指名され、同月十二日大谷贇雄君が辞任され、補欠として大屋晋三君が指名され、同月十四日森崎隆君が辞任され、補欠として、木下源吾君が指名されました。 —————————————
五月十二日委員大谷贇雄君辞任につ き、その補欠として大屋晋三君を議長 において指名した。 五月十四日委員森崎隆君辞任につき、 その補欠として木下源吾君を議長にお いて指名した。 本日委員一松政二君及び大屋晋三君辞 任につき、その補欠として石川榮一君 及び大谷贇雄君を議長において指名 した。 ————————————— 出席者は左の通り。
ただいま一松政二君、大屋晋三君が辞任され、補欠として石川榮一君、大谷贇雄君がそれぞれ指名せられました。 —————————————